銅鐸の謎④
(写真はベトナムの銅鼓です)
銅鐸は何故、集落外に埋められたのでしょうか。
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この謎は正確には解明されていません。
以下、要約した所説を述べてみます。
1 他の集落との間に軍事的緊張が生じたときに
祭祀の道具である銅鐸を埋めて隠した。
2 集落の境界に埋めてムラの護りとした。
3 埋めて保管した。
4 不要となった祭祀の道具を埋めた。
など様々な説があります。
最近では故意に壊されたと思われるものも
出土しており 呪術的な意味合いもあった
ことは否定できないとも言われています。
「埋納する祭器」には銅鐸のほかに
ベトナム(越国)の銅鼓が挙げられます。
古式の銅鼓は日本の銅鐸と同じく
地下に埋納されて状態で発見されています。
これは何らかの理由で秘匿された或いははその地を
放棄する際に、一時埋匿したものであると考えられ
日本の銅鐸と同じような出土事情を持っています。
また埋匿する理由は、異族に対する呪鎮のためだとも
考えられています。
同時に越国と倭国は銅鼓文化・銅鐸文化の時期と
稲作の開始時期が重なることで繋がると
指摘する学者もいます。
銅鼓=敲く祭器
銅鐸=鳴らす祭器
その機能や形状は異にする点が多いのですが
一考に値するかも知れません。
(以下引用)
銅鼓(どうこ、ベトナム語: Trống đồng)とは、中国南西部から東南アジア島嶼部まで幅広く出土する楽器、祭器でドンソン文化を特徴づける遺物。
青銅で作られた片面の太鼓である。主に雨乞いや祖先祭祀の際、精霊に働きかける目的で作られたとされる。最古のタイプの銅鼓は、紀元前5世紀頃に雲南地方で作られはじめたと考えられている。その後の銅鼓は、20世紀初頭のフランツ・ヘーゲルによって、一型から四型にまで分類されている。こうした銅鼓(とりわけヘーゲルI型銅鼓)はメコン川、紅河流域の交易ルートを通じて各地に伝播したほか、東南アジア島嶼部にまで幅広い広がりをみせた。
(以後、不定期ですが続きます)
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