「曹源の一滴水」:高村光雲

左近法務事務所

2011年05月01日 17:52



評論家、翻訳家、劇作家であった福田恒存は
-----------------------------------------------------
まだ使える物を捨てるのは
「残虐行為」だと言っています。

さて
中島光蔵は
仏教彫刻師になろうと志し
高村東雲を訪ねます。

東雲は何も言わずに
光蔵に井戸の水汲みを命じたのだそうです。

東雲は光蔵の動作を見て
やにわに彼を激しく罵って、退去を命じます。
傍で見ていた弟子たちが、彼を憐れんで
その夜は泊めてくれたのです。

夜半、光蔵は起こされて
東雲の前に通されます。

東雲は言葉静かに
「昼間、私が叱った理由がわからぬようだから
話そう。
仏像は人から拝まれるものである。
拝まれるものを作る人に
拝むこころがなくてはだめだ。
一杯の水といえども天地の賜物である。
然るに、お前の水汲みを見ると
こぼれても平気だ。
捨てて省みぬ人間に、仏像が彫れると思うか」
と諭したそうです。

中島光蔵。
のちの高村光雲であり
高村光太郎の父であります。