正受老人の「残心」
「残心」という言葉には心残り、
未練を意味する以外に
--------------------------------------
もう一つ別な意味があります。
今では茶道や剣道・弓道でも
よく使われています。
弓道にあっては
屋を発した後の反応にこたえる構えを言いますし
剣道では一撃を加えた後、相手の反撃に構える
心の構えを指します。
また、茶道では
茶の湯が済んだ後の心構えを指しています。
残心は
名残を惜しむとも解される訳ですが
それは単に人間くさい未練からではなく
深い知恵から運ばれてくるこころから
なるものだと思われます。
さて
白隠 慧鶴(通称:白隠禅師)は
臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧で
五百年に一人しか出ないと言われた高僧ですが
信州飯山に住した正受老人を師と慕いました。
正受老人は信州松代藩主真田信之の庶子で
19歳で出家し、至道無難などの指導を受けています。
『禅語百選』の著者である
松原泰道禅師は以下のように
書き述べています。
白隠禅師を育てた正受老人は
白隠を旅に送るときの別れに
「あうときは別れ路もあり
同じくは身を添うかげとなす友のがな」
とうたい、名残を惜しんだと言われています。