貂の皮とは新潮文庫『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎)
に収録された脇坂安冶を記したものです。
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脇坂安冶は「賤ヶ岳の七本槍」の一人として
有名ですが、その子である安元は
信州飯田の名君と呼ばれています。
江戸の初期、伊予大洲藩五万石から
国替えで飯田藩五万五千石で
やってきた脇坂安元は初代藩主となります。
この頃、幕府ではさかんに
全国の藩主や諸家の系譜編纂に傾注して
いましたので脇坂家も家系図を申告する
必要がありました。
多くの藩主が源平藤橘を先祖と
誇大申告する中で安元は
祖父の代からの系譜を記し
「南北それとは知らず紫のゆかりばかりは末の橘」
の歌を添えたと言われています。
(紫は天皇家の末裔の意)
安元は歌集『八雲藻』などを世に出し
伊那谷の文化に貢献したと同時に
領内の開墾を行い、用水を整備し
こんにちの城下町の基本をつくった藩主
として評価されています。
因みに貂の皮は馬印に使われていました。
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