2011年06月28日

毒のある色・毒のない色



健全な人は「無色」なのだそうである。
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アメリカの心理学者であるエルマー・ケイツ博士が
次のような実験結果を発表している。

「人間が吐き出す息をガラス管に入れ
液体空気で冷やしてやると沈殿物ができる」

これを分析すると
①怒っている人の色は「栗色」

②悲しみや苦痛の状態にある人の色は「灰色」

③後悔に苦しんでいる人の色は「淡紅色」

④健全な人の色は「無色」

に分かれるそうである。

①の怒っている人の沈殿物をネズミに注射
したところ、ネズミは数分間で死んでしまった。
と言われている。

さらには
一人の人間が一時間以上、腹を立て続けると
80人の人を殺すことができる毒物を発生する
のだそうである。

これは「オーラ」と呼ばれる
生体エネルギーにも見られるようである。

よい心がけの人のオーラは
「黄色・金色・ピンク」であり
悪い心がけの人や病気の人のオーラは
「緑色・ブルー」なのだそうである。

但し
修業することによって
良い色に変えることが可能であるとも
言われている。

将来、地球やそこで暮らす人々は
果たして何色に輝いているのだろうか。



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2011年06月26日

人生は不公平との戦いなのである



苦しみと感動は紙一重である。
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何の苦労もなく手に入れたものは
感動を伴わない。

だから
自分の能力に対し
いつも150%ぐらいの目標を設定する。

そうするとかなり努力する。
さらに極論を言えば、一生懸命
毎日努力しなければ手に入れることが
出来ない目標の設定がよいかも知れない。

そしてそれは
取り組む期間が長ければ長いほどよい。

苦節に耐えて歯を食いしばり
色々なものを犠牲にして手に入れるから
喜びが大きい。

真剣になるとは文字通り
刀を持って戦うことである。
一生に一回か二回、己の限界に挑戦
しなければ大きなものを手に入れることはできない。

但し身の程知らずで
はじめから全く「ダメ」であるとわかっているに
挑戦して哀れな思いをすることは避けるべきだ。

総じて失敗を恐れてはいけない。
たとえ過程において達成できなかった
としても、それは失敗ではない。

一日一生であり
人生はそもそも不公平との戦いなのである。



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2011年06月24日

離婚しても元には戻れない



韓国、中国、インドでも、
ここ数年来離婚率が高まっている。
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こうした傾向は世界的とも言える。

離婚の原因の第一は
女性の就業率と深く関わっている。
手に職を持つことによって
いざとなれば自分一人でも
生きていけるからである。

国の福祉制度もある程度行き届いているし
贅沢さえ言わなければ何とか生活できる。

二番目としては
離婚率の世界的な高まりにより
「市民権」を得たことである。

昔なら離婚することが一種の恥
後ろめたいこととされたが
今や町で外国人を見ると同じように
近所、親戚などに離婚している人を
見つけるのは容易になってしまった。

第三の原因としては
夫婦とも忍耐力に不足していることが
挙げられる。
結婚には当然ながら長い期間における
忍耐力が求められるからである。

翻ってみれば
もともと他人であった者同士が
共同生活を始めるわけである。
両親も育った環境も、考え方も違う者同士が
共に暮らすということは、決して甘いだけではない。

カーネギーは『人を動かす』の中で
家庭を幸福にする条件として七つ挙げている。

1 口やかましく言わない
2 長所を認める
3 あらさがしをしない
4 ほめる
5 ささやかな心づくしを怠らない
6 礼儀を守る
7 正しい性の知識を持つ

夫婦はうれしいことも嫌なことも
お互いに隠さず話し合えることである。

夫婦はお互いに本音で話し合える、
一番の味方でなければいけない。


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2011年06月23日

法演の四戒



五祖法演が弟子の仏果禅師に与えた言葉
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の一つに
「勢い使い尽くす可らず」があります。
所謂「法演の四戒」の中の教えの一つです。

仏果禅師は『碧厳録』を大成させた
中国宋代の高僧で、太平寺に住職するにあたり
仏果禅師に「およそ院に住す、己がために
戒むるもの」として与えたと言われています。

法演は自ら解説して
「勢い、もし使い尽くさば、禍必ず至る」
と言い切っています。

人間は調子に乗り易いもの。
しかし、実はこの時が一番恐ろしい。

絶好調の幸運時こそ、知らぬ間に
破局の種が蒔かれる。

人間は決して不幸のときに
不幸が始まるのではなく
「ツイている」ときに
破局の兆しが起きている。

と言えるわけです。


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2011年06月20日

古代史のなぞ(渡来人:その二)



漢氏は応神朝に後漢の霊帝の子孫である
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阿知使主とその子の都加使主とが
「党類十七県」を率いて渡来したと伝えられている。

五世紀後半の雄略朝には都加使主が
百済王より献られた「今来の才估」と呼ばれた
新米の技術者を管理していたと言うが
虚構性が強いと指摘されている。

漢氏は五世紀末か六世紀の初頭、渡来し
彼らが管轄した今来漢人は六世紀前半を
中心とする時期に南朝系中国人を含む
百済から来た人たちを指すであろうと
されている。
漢氏はその同族に百済王から出たと
称するものが多くのも傍系資料とされる。

漢氏は渡来して大和の高市郡日檜前村に
落ち着いたと言われている。
この地はそもそも今来郡と言われていたが
のちに高市郡に改称されている。

檜前の地の西隣に広がる越智岡丘陵の
新沢千塚古墳群には
五世紀後半から六世紀後半に及ぶ
大型方墳や前方後円墳のほか
約五百基からなる小円墳がある。

これ等の古墳群の被葬者は、漢氏の系統を引く
ものと推定されるが
葛城氏や蘇我氏と結び付ける学者もいる。

彼ら漢氏は手工業の集団とされる
機織・製鉄・武器の生産に従事する新米の
渡来人を率いる大和朝廷の
官人的集団として存在した。


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2011年06月19日

古代史のなぞ(渡来人)



日本に渡ってきた人々の中で
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古代の渡来人勢力を代表するのが
秦氏と漢氏である。

この両氏は『古事記』『日本書紀』によると
共に応神朝に集団で移住したと伝えられる。
しかしながら四世紀末か五世紀初頭に当たる応神天皇
の実在性が疑問に付されるばかりではなく
日本書紀には、応神天皇と雄略天皇に
渡来人記事・外交記事など類似・共通するものが
多いところから、元来一つの内容の話を
二つに振り分けて記述したと見る
説が有力である。
従って倭王武とされる雄略天皇の時期を
考えるできであろう。

秦氏は秦の始皇帝の子孫の弓月君が
「百二十県の百姓」を率いて応神朝に来たと言う。
この渡来時期については前述のとおり
五世紀後半の雄略朝のころと考えられているが
確証はない。

秦氏の祖である弓月君は渡来後、
先ず大和の津間の掖上の地を与えられたと
言うが、それはのちに秦氏が大和朝廷に関与した
頃にできた話であり、本拠地は山背(京都府)に
あったと考えられる。

秦氏はその地に灌漑施設を設けて土地を拓き
農業・養蚕・機織を行って繁栄した。

秦氏が遠く秦の始皇帝に祖をもつとの伝承は
ハダの名の漢字表記が秦であることから
着想・形成されたものであって
歴史的な根拠はない。
またハダが朝鮮語で意味するパタ(ワダ)から生じ
海のかなたより来た人という見解は
早くからあるが確証はない。

秦氏が大和朝廷の財政の一翼を担う
地位に就いた理由は
従来の畿内各地の豪族と違った
遠隔地交易による新たな富の蓄積であった。
それは例えば山背の「葛野の大堰」造営に
窺われるような大規模な開発を主導した
ことにも求められる。

このようにして秦氏は山背を一大勢力圏として
欽明朝の政治を支え、
加えて西日本各地に新羅・加羅系渡来人を
「秦の民」秦人・秦人部として集団的に
組織し「九十二部一万八千六百七十人」
若しくは秦人の「戸数七千五十三戸」などと
称されるまでに大きな成長を遂げるのである。


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2011年06月15日

縁切り寺



先日のテレビで観た「後妻打ち」。
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後妻打ち(うわなりうち)とは
日本の中世における夫が
後妻と結婚するとき、先妻が予告のうえで
後妻の家を襲う風習である。
但し、全てにではなく飽くまでも
「離婚して夫がひと月以内に再婚した場合」に
限られていたようである。
テレビでの場面は先妻も家柄が武士の出であり
後妻もまた武士の家柄であったが
室町時代ごろでは一般の庶民の間でも
かなり普及していたと言われている。

室町時代から江戸時代に亘って
夫婦関係において夫は圧倒的な権威をもっていた
ため、妻はその言に唯々諾々と従うしかない、
というようなものであった。
妻に何の落ち度もなくても夫は一方的に
「三行半」をたたきつけて妻を離縁すると
いうことが平気でまかり通っていた。
たとえ夫が飲んだくれであろうと暴力を振るおうと
妻はひたすら耐え忍び、自分から離縁を言い出すことは
できなかったとされる。

そうした中で唯一、妻を保護する場所が
縁切り寺であった。
世界でも類例を見ない縁切り寺は
二か所あった。
一つは鎌倉の東慶寺。
もう一つは群馬(旧、 上野国新田郷)
の満徳寺であった。

東慶寺は、近世を通じて群馬県の満徳寺と共に
「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていた。
江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか
認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、
当寺で3年(のち2年)の間修行をすれば離婚が
認められるという「縁切寺法」という制度があった。
幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が
東慶寺を目指した。
但し、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、
まずは夫婦両者の言い分を聞いて
、夫が離縁状(いわゆる「三下り半」)を書くことに
同意すれば、すぐに離婚が成立したという。
また、実際には離婚に至らず、調停の結果、
復縁するケースも多かったという。
この制度は、女性からの離婚請求権が認められる
ようになる明治6年(1872年)まで続いた。

(開山以来、600年近く縁切寺法を残し続けた
東慶寺は明治4年、その法が禁じられることとなる。)


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2011年05月24日

明智光秀:敗者の野望



『時は今 天が下知る 五月哉』

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の句は周知のとおり
明智光秀である。

「時は今」は明智光秀の出と
言われる「土岐」一族を指すと
読まれているが、出自に至っては
多くの謎を残しているようである。

続く
「天が下知る」の「天が下」はそのまま
「天下」を指していると言われている。
そして
「知る」は「支配する」という意味とされる。

この句を詠んだのは
本能寺の変(1582年6月2日)の
直前の5月28日、
愛宕山西ノ坊で里村紹巴らと百韻の連歌会
を催した際と言われる。

丹波亀山から山城国に入る老ノ坂まで
兵には行き先を知らせずに行軍し
一気に本能寺と嫡男信忠がいた二条城を
襲った。

ところが
本能寺の変から11日後の
山崎の合戦で
秀吉の軍に敗れてしまう。

しかし、信長ほどの大きな存在を
殺した行動でもあったのにも関わらず
明智軍から大量の逃亡兵が出ていない
ことは賞賛に値すべき統率力であったと
作家の堺屋太一氏は『歴史の使い方』
の中で述べている。

但し
光秀と秀吉には性格的に大きな違いがあった。
光秀の周囲には足利の幕臣、高僧、連歌師など
古い社会で認められた人々が多い。
どちらかと言えば、人嫌いであったらしい。

一方、秀吉は
人好きで、女性も多く、家臣ともたわいない
会話もしたらしいし、主君の信長にも
おくすることなく近寄っていった。

本能寺の変の教訓として
「総論」こそがすべてを決定すると
堺屋太一氏は指摘する。

信長の原点は「天下布武」
つまり、すべてを武士が取り仕切る絶対王政で
秀吉は素直にそれを引き継いだ。

一方、光秀は、そうした総論がよく理解できなかった。
各論的な改革を実行することで
「修正足利体制」をつくる発想になっていた。

この二人の思考・行動の違いが
判断の差となり、結果の明暗を決めていった。

秀吉は既に足利体制は滅んだと理解し
信長の後継者として、信長が始めた革命を
どう確立するか考え、それを実行していった。

ここに修正主義を旗頭とした光秀と
信長革命を継承する秀吉との
決定的な違いにより
歴史の勝者と敗者に分かれることに
なったのである。


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2011年05月24日

「神の手」による捏造



今から三十年前のことである。

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宮城県岩出山町の座散乱木遺跡から
四万年ないし五万年前の地層から
住居跡が発見された。

この当時、日本考古学の中では
三万年以上前に人類と呼べるものが
日本に存在したか否か論争になっていた
矢先でもあった。

「いた筈だ」と言う説と
「いなかった」と言う説が
激しく分かれる中にあって
アマチュアの発掘家が石器を発見し
「いた筈だ」説派に大きな勝利をもたらした。
その後も彼は次々と新発見をし
日本の旧石器時代は
十万年前→二十万年前
そして五十万年前まで遡ってしまった。

彼はこうした功績により
「神の手」を持つ男と称されてしまった。

しかし一方で、当時
「怪しい」と疑念を持つ研究者もいたが
物証があるからと封じ込まれてしまった。

最終的には多くの皆さんがご存知の通り
「ねつ造」であった。
歴史の教科書は何度も塗り替えられ
かつて多くの考古学ファンが押し寄せた
座散乱木遺跡は、今は見る影もないほど
荒れ果てている。

振り返れば、この事件。
アマチュアの一介の考古学者一人の
単独ねつ造事件として、幕が
閉じられてしまったが
これを「よいしょ」した人物が
大勢いたように思える。
「よいしょ」されたみこしは
不都合が生じ、一気に
おとされてしまった。

悲しいかな
アマチュアの考古学者が
権威体質がはびこる学会において
認められることは
現実的には容易なことでない。

彼の手によって発見された石器の多くは
出土状況を証明する写真撮影すら
されていない。
発掘現場には通常、団長がいて
総指揮を取るし、現場を任された
調査主任もいた筈なのに
発掘のイロハとも呼べる
「出土状況の確認・証明」が
曖昧にされている。
そうした意味で
彼の手によって取り上げられた
石器は負の証左としか
言いようがない。


(元考古学専攻生の回想)

考古学を専攻したからといって
将来が約束されるものではない。
よほど、スバ抜けた能力があれば
別だが、多くは先ず教授との師弟関係を
結ぶか、その教授のゼミなどに入って
認めてもらうことになる。
もう40年ほどの前のことなので
多分、今はだいぶ違うだろうとは
思うが、少なくとも40年前当時は
そうした雰囲気が少なからずあった。

やれ○○教授の発掘調査に参加した
やれ○○教授の飲み会に出て懇意に
なれたなど、一種のギルド社会なのである。

しかし、こうした涙ぐましい?努力が
すべて報われる訳ではない。

せいぜい残れて助手。
そうでなければ、とある博物館の学芸員または
教育委員会の職員。
能力があれば国立文化財研究所の職員。
若しくは大学院に進むことになる。

だが専攻生の半数以上は
考古学とは無縁の社会で
人生を送ることになる。

専攻生であって、こういう状態であれば
在野のアマチュア考古学者に
約束される未来はない。

「神の手」といった
禁じ手の温床は
長い間に歪んでつくられた
学会の体質そのものに
その遠因があるのかも知れない。


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2011年05月23日

勇気を失ったことはすべてを失ったことである




難あり、有難うと思うことも大切です。
--------------------------------
「わたしは靴を買ってもらえないため
非常にみじめな思いをしておりました。
ある日、両足のない人に出会いました。
わたしは裸足で、とても仕合せに
歩いております。」

「三不忘」とは坂村真民氏の言葉である。

「貧しかった時のことを忘れるな。
苦労した時のことを忘れるな。
嬉しかった時のことをわすれるな。」

先ず最初に悪の使者が馬に乗ってやってくる。
これが謂わば、功成す前の苦労なのである。

そして、そのあと善の使者が牛に乗ってやってくる。
漸く苦労が認められたのである。

孟子曰く
天が、その人に大任をまかせようとするときは
必ず、その人を苦しめて、窮乏の境遇に置く。
従って、何をやってもうまくいかないのである。
それは、その人を鍛えるためのものであって
不運だと嘆いてはいけない。

何故なら、天は不運をもってその人を
試しているから。

総じて
何かあって財貨を失ったのは
いくらか失ったことである。

また不正で名誉を失ったのは
多くを失ったことである。

しかし、勇気を失ったことは
すべてを失ったことである。

乗り越えられない困難はないと私は
信じる。


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2011年05月22日

何かを得る・・・何かを失う



刃と心を合わせて「忍」となる。
-------------------------
「忍」と云う字は
心臓に刃を突き付けられた状態を表わしている。
ときには命懸けで、じっと耐えることが
「忍」の字であると知っておくべきである。

人生の長い過程で
追い込まれることもある。
もがき、あがけばあがくほど
泥沼にはまり込み、ますます悪化していく。

そうしたときは
じっと耐えて流れの変わるのを待つのだ。

吉田兼好の言葉に
「一事を必ずなさんと思はば、
他の事の破るるをもいたむべからず。
人の嘲りをも恥ずべからず。
万事かえずしては一の大事なるべからず。」
とある。

要は
何かを得るということは
何かを失うことだと
腹をくくることである。






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2011年05月21日

「過去のせい・誰かのせい」そして「自分のせい」




過去のせい、誰かのせい」
を捨てたときから、人生は好転する。

--------------------------------------------------
とウエイン・ダイアーは述べています。

過去のせいにしても
過去は戻らないし

また
誰かのせいにしても
その誰かを変えることはできない。

帰らない事に振り回されるのは、心を痛めるだけ。

そうであるならば
自分自身を変えていったほうが現実的です。

人間である以上、
問題の一つや二つあって当たり前と受け止める。

問題の有無を幸福の基準としない人こそ、
最も知的な人々であると言えるでしょう。


「何をするにも正しい方法は一つであり、
どんな場合にもある特定の様式に従って、
行われなければならないと信じているとしたら、
あなたは、独創性と同時に、
自発性にも欠けることになる。」
ともウエイン・ダイアーは述べています。

相談者に聞かれ、答える立場にある私は
軽はずみなことは言えない。
また、聞かれても知らないことは
知らないと答えるしかない。

相談者や依頼者は100%の満足度を
要求されますが、なかなか筋書き通りに
行かないのが現実で、紆余曲折、苦悩の日々が
続きます。

勿論、解決に向けて最大限の最善策を
考える訳ですが、それは
選択肢の一つであって万能とは言い切れない。

ウエイン・ダイアーの言葉を
もう一つ借りると
「要するに、あなたは誰か、
何かがあなたを不幸にしていると
思っているけれど、
それは正しくない。
あなたが、あなたを不幸にしているんだ。」



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2011年05月20日

都合の悪いこと



都合の悪いことは伏せておきたい。
--------------------------------------------------
失敗も当然のこと、隠したい。
もちろん、本当のことは誰にも知られたくない。

しかし時間が経てば経つほど
その傷口は広がっていく。

発覚しなければ大丈夫だと思っていても
悪事は千里を走り、いずれわかってしまう。

ましてや、大きな事件、事故であれば
この情報時代において、ばれない筈がない。

隠そうと思ったが隠しきれず
白日の下に晒されたときに
失う信用は甚大である。

『失敗の予防学』の著者である
中尾政之氏は
日本ハムや雪印食品、野村証券などの
隠ぺい事件を数値化した結果を
こう結んでいる。

「組織にとって隠すには損である。
普通は隠すと10倍返しである」と。

事故や事件、アクシデントが降格や免職
または損害賠償などで解決がつくなら
まだしも、こと生命に関わるとなれば重大である。

中尾氏は大きな原因として
3つ挙げている。

1無知
2無視
3過信

無知とは
法律でセーフティ・ネットや安全事務が
あることを知らない。

無視とは
法律があることを知っているにも関わらず
守らない。

過信とは
読んで字のごとくである。


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2011年05月19日

「やれうれし隣の倉が売られていく」



古いことわざに
「天に口無し人をして言わしむ」

----------------------
があります。

意味はと問えば
「天はことばを発しないが、
天意は人の口を通して伝わるということ。
天の意志が大衆の声となって現れることを言う。」
と書かれています。

人の不幸を喜び、人の幸福をねたむのが
生身の人間の本音とも言えます。

この世の仕組みを
よく表わした言葉に「非理法権天」があります。

非は理に勝てず
理は法に勝てず
法は権に勝てず
権は天に勝てず

毎日の新聞に報じられる記事を見ると
折角、手に入れた地位や財産などを
事件を起こしたがゆえに
つぎつぎと失っていく人がいっぱいいます。

省みれば
成功者と言われる人々は
みな謙虚であり、感謝の心を持続しています。

この世の中において
人の手助けなくして成功することは
何一つあり得ません。

多くの人に支えられて生き
多くの人のお世話になっていることを
忘れた瞬間に奈落の底に突き落とされる。

感謝の心をもっていれば
自分が今日も生きているのではなく
生かされていることがわかってきます。

しかも
自分の生命を維持するために
植物、動物などの尊い生命を犠牲にして
自分が生きているからです。

自分が生きる権利があるとするならば
一本の草木だって
一匹の魚だって
同じ権利をもって生きているからです。



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2011年05月18日

不運と不幸の省察





幸運の女神は

-----------------------------
誰に対しても公平に
三回は微笑みかけると言われる。
しかし折角、微笑みかけても
知らん顔している人も多い。
あとになって気付いても、もう遅いのだ
そうである。
何故なら、幸運の女神には
前髪しかなく
後ろ髪がないから。

だから幸運を掴むには
待ち構えていて捕まえなければならない。

だが、最初にやってくるのは
馬の背に乗った悪い使者であるから
気をつけなければいけない。

幸運の女神ははにかみ屋で
牛の背に乗ってやってくる。
そして、さんざん苦労した人に
ニッコリ微笑みかける。

作家の津島佑子さんは
被災地の皆さんに向けて
「不運と不幸は違う」と書いていた。

「どんな不運に見舞われても、
不幸になっちゃいけないよ」
 と。
翻ってみれば
苦労もしないで手に入れたものは
本物ではなく、すぐに手元から離れていく。
然も与えられたものは小さく
自らの手で勝ち取ったものが大きい。

楽を追えば楽は逃げてゆき
苦労から逃れようとすれば
苦労は追いかけてくる。

そうであるならば
いっそ思い切って苦労の
ふところに飛び込んでゆくほうがいい。





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2011年05月17日

初代飯田藩主の事績




貂の皮とは新潮文庫『馬上少年過ぐ』(司馬遼太郎)
に収録された脇坂安冶を記したものです。
-------------------------------------------------
脇坂安冶は「賤ヶ岳の七本槍」の一人として
有名ですが、その子である安元は
信州飯田の名君と呼ばれています。

江戸の初期、伊予大洲藩五万石から
国替えで飯田藩五万五千石で
やってきた脇坂安元は初代藩主となります。

この頃、幕府ではさかんに
全国の藩主や諸家の系譜編纂に傾注して
いましたので脇坂家も家系図を申告する
必要がありました。
多くの藩主が源平藤橘を先祖と
誇大申告する中で安元は
祖父の代からの系譜を記し
「南北それとは知らず紫のゆかりばかりは末の橘」
の歌を添えたと言われています。
(紫は天皇家の末裔の意)

安元は歌集『八雲藻』などを世に出し
伊那谷の文化に貢献したと同時に
領内の開墾を行い、用水を整備し
こんにちの城下町の基本をつくった藩主
として評価されています。

因みに貂の皮は馬印に使われていました。


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Posted by 左近法務事務所at 18:42
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2011年05月16日

一日一生



モーツァルトは三十五年しか
生きなかったのですが
-----------------------------------
その短い生涯で六百を超す膨大な名曲を作りました。
彼のライフスタイルは
まさに、目標を持って一生懸命生きたと
言えるものです。
つまり限られた時間を有効に使い切った人なのです。

時間は何もしなくとも過ぎていきます。
お金は使わなければ減りませんが
時間は確実に減っていきます。

それ故、何もしないで過ごした時間は
浪費と言える訳です。

作家の川北義則氏は
浪費時間を少なくする方法として二つ挙げています。

先ず一つは何事に対しても
「一生懸命に取り組む」こと。
何かに夢中になっているとき、しばしば
時が経つのを忘れることがあります。
こうした場合、時間を損したと考えるべきではなく
得したと思うべきであると述べています。

そして二つ目の方法としては
「目標を持つ」こと。
例えば、自分が何をしなければならないか
それがはっきりしていないときは
時間は浪費される。
しかし、目標があるとすべてが
それに向けて集約されていくから
時間の浪費は少なくなると述べてます。

ある哲学者は
人生で一番愉しいことについて
「目標をつくって、それに向かって努力する」
ことだと言い切っています。

本当の豊かさには愉しみがなければならないし
逆に愉しみがあれば、傍目には
どんなに無駄な時間に見えても
その人にとっては充実した時間なのです。

私たちの時間は限られています。
それもいつおしまいになるかもわからない。
今日かも知れないし、また明日かも知れない。

そうであるならば
「一日一生」と思い
充実した時間を過ごすべきであると言えます。



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Posted by 左近法務事務所at 18:27
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2011年05月13日

「一期一会」の教え



茶道の世界において、
お茶席でもてなす相手とは
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もう二度と会うことがないかも知れないので
いいお茶を入れてあげようと努力する姿勢のことを
「一期一会」を言います。

千利休の弟子宗二の『山上宗二記』に
「一期に一度の会」とあるのが元になっています。
「一期」は仏教語で、
人が生まれてから死ぬまでの間の意味があります。

人生は人と人の出会いによって
絶えず繰り広げられますから
仕合せな人生をつくるためにも
出会いを大切にしたいものです。

人との縁にあっては
徳川将軍家の剣の指南役であった「柳生家」に
有名な家訓があります。
江戸時代の初期に、家康、秀忠、家光の3代に
仕えた柳生宗矩の言葉と伝えられています。

「小才は縁に出会って、縁に気付かず
中才は縁に気付いて、縁を生かさず
大才は袖すり合った縁をも生かす」

案外、自分にとって
将来の鍵を握る人が身近にいるかも知りません。
また、逆に近くにいるすぎるために
その存在が気付かないこともあります。


何事につけても、あまり打算的にならず
会う人一人ひとりの出会いを
大切にしていきたいものです。



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Posted by 左近法務事務所at 18:18
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2011年05月12日

新事業の成功率・失敗率



1年目ー33%、2年目ー51%、
3年目ー58%、4年目ー63%、
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5年目ー67%
6年目ー71%
7年目ー74%
8年目ー77%
9年目ー79%
10年目ー80%

上記の数字は
少しふるいですが、アメリカ商務省発表による
新事業の失敗率を表わしています。

お分かりの通り
新事業の2/3は5年以内に失敗しています。
さらに10年後には8割が消えてしまっているのです。

こうした傾向は日本においても同様だろうと思います。
特に脱サラで商売を始めている人は
5年以内に90%が失敗していると言われています。
つまり、確率から言えば
10%しか10年後には残っていないわけですね。

それでは、どうすれば
新事業で失敗しないようにできるのでしょうか。

『不運に思ったとき読む本』
の中で著者である笠巻勝利氏は
「10の条件」を記しています。

1 目標意識が高いこと
2 運命を乗り越える姿勢が強いこと
3 失敗を恐れない姿勢を持つこと
4 実行力と活力があること
5 物事を完遂させる力があること
6 不安定な条件の中でも耐久力があること
7 事業遂行を支える自信があること
8 問題に立ち向かい解決する力があること
9 消費者の動向、ユーザーの要求に対応できること
10お金を成功の尺度としていること

以上、10の条件は簡易に思いつく内容ですが
意志を強固に持ち、継続的に実行しない限り
成功は成し遂げられません。

矢張り、事業で成功するためには
失敗の要因を取り除き
成功するために必要な条件を
ドンドン取り入れていかなければなりません。






Posted by 左近法務事務所at 19:08
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2011年05月11日

植物にも「心」はあります



元三井不動産会長であった江戸英雄氏(故人)は
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50年以上も野菜作りをしていたと言われています。
生前、彼は知り合いに
「植物に足音を聞かせてやるほど、いいものができる」
と語っていたそうです。

草や木は眼がないからないから見えないとか
脳がないから考えないとか言われますが
そうではないように思います。

何億年もの間、時代の変化に適応して生きてきた。
気候条件が変われば、それに適応するよう
努力して生きてきた。

そうして見れば
人間以上に自然の変化に対応する力を
もっているわけです。

草や木や、そして花に
優しく語りかけ、いたわりの手を
差し伸べれば
私たち人間にも
もっと多くの幸せが
訪れるかも知れません。





Posted by 左近法務事務所at 20:27
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