2008年08月29日

人物譚7:松代藩「花井吉成」



花井吉成は、家康の六男
松平忠輝が慶長8年に松代城主になった際、家康の
命により老臣になった人物です。
慶長15年、忠輝が越後高田を拝領し、松代城代
として吉成を留め置きました。
松代城代の間、吉成は多くの土木事業を手掛けます。
北国街道の普請、伝馬駅の設置、裾花川の川筋を変えて
氾濫を防止。
川中島平に犀川から用水を引くなど、水田開発にも
尽くしています。
善政の吉成ですが
松代以外で、あまり世に知られていないのは
残念な気がします。
お墓は、松代の西念寺にあります。

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Posted by 左近法務事務所at 20:44
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2008年08月27日

犬の視点



猫は家につく。
犬は人につく。
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斯様に言われています。
最近、家族が一人?増えました。
で、
家族内における私の序列に
変化が生じました。

都合5人家族

1番 息子(飼い主)
2番 妻(餌やり・トイレ掃除・雑用)
3番 犬(チワワのオス)
4番 小生(ただなでるだけ)

欠番 娘(東京で学生)
犬は、この存在を知らない。

愛着が自然とわきます。
家の中の雰囲気が明るくなりました。
犬が主に一家団欒を支えています。


私の食事は
チワワ君のあとになってしまいました。
が、
妻が、最近機嫌が良いので安心しています。

妻の笑顔は大事です。

最近、このチワワ君に
とても感謝しています。

「犬畜生」「犬死」「幕府の犬」などと言う言葉が
最近、嫌いになってきました。
と、言うことで
動物を大切にされている
皆さんのお気持ちが
少しずつ判るようになってきました。


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Posted by 左近法務事務所at 21:33
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2008年08月26日

貧しきことは恥ではない



生涯
順風満帆などあり得ない。
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金がなくて貧乏である。
世の中、大勢いる。
(と思う)

但し
何とか食べていける。
幸せなことだと思う。

金の亡者となり
人を平気で騙し、欺く。
こうした類から
比べれば
はるかに上等である。

今、一番大切なこと。
「人としての心」

「四無量心」の中で
道元は、こう諭している。

(慈)
人を幸せにしたい心

(悲)
人の悲しみを共に悲しむ心

(喜)
人の喜びを共に喜ぶ心

(捨)
人に施した恩
人から受けた害
一切の報い
とらわれを捨て去る心

自分もかくありたい。




Posted by 左近法務事務所at 22:44
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2008年08月26日

日本の葬法特異例「曝葬」



曝葬(ばくそう)とは、死体を山地、原野など
空気中に曝しておく葬法を言います。
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これに類するものに
風葬、樹上葬、鳥葬が挙げられます。
日本の葬法に「火葬」が登場するのは
八世紀頃ですから、それ以前の葬法は
土葬が主だったと思われます。
曝葬は、その意味において、日本の葬法上
特異な発見例と呼べます。

上田の丸子で発見された
鳥羽山洞窟遺跡及び岩屋堂洞窟遺跡は
日本における古代葬法を研究する上で
大きな痕跡を残しています。

鳥羽山は古墳時代中期に属し
岩屋堂は、それより下降します。

出土した遺物は
須恵器にあっては、日本でまだ20数例しか
所見されていない二重はそう(酒器に用いられたと云われている)を始め、
土師器、琴柱型石製品、鹿角製紡錘車、鹿角製刀子、玉類、鉄剣、馬具など。

古墳時代の中期と云えば
当時の権力者或いは有力者の埋葬に
あたっては、主に墳丘を有する墓をつくるのが
一般的でした。
この時代にあって、出土遺物から見ても
かなりの権力者でありながら、何故「曝葬」
を50年以上に亘って、用いたのかの
謎が残ります。

古墳を築いた有力者
曝葬を用いた有力者

その背後には「渡来系集団」が
存在していたのかも知れません。

いづれにしても
謎とロマンは尽きません。

(参考文献)

『鳥羽山洞窟の調査』
『遺跡と遺物』
『長野県文化財めぐり』

写真の須恵器「はそう」は
本文とは別物です。

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Posted by 左近法務事務所at 22:06
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2008年08月26日

男の「品格」



川北義則の本を久し振りに
引き出して読んでいる。
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そこには彼独特の「品格論」が展開されている。

男は基本的に硬派であるべし。知性も教養もある上、
理不尽や不正義には一歩も引かない勇敢さを持ち、
いつ如何なる時にも自分の考えを持っていて、決して
ブレない。誰が何と言おうとも自分の生き方の筋を通す。
対人関係も譲る所は譲るが、絶対に譲れないところは断固として押し通す。

少し前の出来事
秋葉原の無差別な殺人事件など見ていると、
人の命を軽く扱い過ぎる。あまりも短絡的で自分勝手すぎる。
この事件もそうだが、子殺し、親殺しなど、
そんな事件を起こせば自分自身も大変な目に遭うこと位、察しがつく。
それでもやってしまうのは心がやせている証拠である。
自分の感情には忠実だが、他人の身になって考えると
いうことがない。
プライドがなくなれば人間はエゴイストになる。
自分中心に考えて恥じない。

誰しも
生きていれば不安や迷いが必ずある。
だが、自分の何かに自信を持てば、不安を抱え
迷いながらも前向きに生きられる。
何もないと不安や迷いの中でしか生きられない。
それでは誰からも尊敬されない虚しい人生しか
訪れない。
全ては自分の中にある。

『男はちょっと硬派がいい』
『男の品格』
共に川北義則著


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Posted by 左近法務事務所at 21:48
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2008年08月26日

巴型銅器



出土地は上田武石の上の平遺跡で
大正5年(1916年)に発見された



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と言われています。

本遺物は、弥生時代の産物で
日本における分布上での東限と
されています。

因みに長野県内での出土例は
これ以外には所見されず、加えて
全国的に見ても、僅かな発見例しか
報告されていません。

巴型銅器は、弥生時代に始まり
古墳時代の前期頃まで知見されます。
形状も若干異なり
弥生時代の巴型銅器の脚状突起は
7本から9本。
一方、古墳時代の巴型銅器の脚状突起は
4本から5本とされています。
武石出土の巴型銅器はその形状からして
弥生時代に比定されるものです。

実は、つい近年まで「巴型銅器」が
何に使われたか不明でした。
最近、大阪府の黄金塚古墳から
楯に配された3個の巴型銅器の出土
によって、その用途が解明されるに至りました。

柳沢遺跡の銅鐸・銅戈の伴出と言う
歴史的な大発見と同時に
武石出土の巴型銅器の存在も
忘れずに考え併せると
何か違った角度で見えないものが
段々と見えてくる。
そんな気がしてなりません。
尚、同じく武石の「鳥羽山洞窟遺跡」
出土の渡来系遺物の存在も看過できません。

写真は長野県考古学会所収
「遺跡と遺物」からの転載です。




Posted by 左近法務事務所at 21:25
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2008年08月25日

裏側から見たホームページ



ホームページの裏側では
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その日
どういった検索で
アクセスがあったか見る事が出来ます。
当事務所でも
基本的に傾向と対策を実施する上に
毎日チェックしています。
ついてですが
ホームページのアクセスカウンターは
自分で改変する事が可能なのだそうです。
(とあるホームページ製作会社談)

さて
最近の傾向としては
①相続問題
②離婚問題
③告訴・告発
④外国人在留許可
⑤農地転用
⑥帰化申請
⑦内容証明
の順位です。

特に
④の外国人在留許可
⑥の農地転用
は長野県の地域的特性と
云えるかも知れません。

一方
会社設立
各種営業許可申請
のアクセスは
この数ヶ月、かなり落ちています。
この辺は
日本のマイナス的な経済動向と連動した
結果とも考えられます。

不景気風が吹くと
何か「争いごと」が増える。
それは
お金の問題であったり
土地、財産の問題であったり
家族間の問題であったり
普段、水面下にあった潜在的な
トラブル要因が顕在化してくる。
そんな印象を強く持ちます。

元首相のボーリングの
アベレージが良かったようで
羨ましい限りです。
ところで
この方
今の元凶を或る意味
招いたのではなかったのでしょうか。
福田先生は
その泥をもろに被ったような気がします。

実は
今日は
これが言いたかったのです。
昔ならサムライであれば
「腹切り」責任ですよね。
およそボーリングなど
してはおれないと感じますが。

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Posted by 左近法務事務所at 21:53
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2008年08月25日

信州の鎌倉ー塩田城跡追想ー



昭和50年から3年間に亘って
塩田城発掘調査が行われました。
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文化庁・長野県・上田市合同の
学術調査ですね。
今から30年以上も前の話です。
この時の調査団長が
黒坂周平先生でした。
顧問は一志茂樹先生。
共にお亡くなりになりましたが
長野県を代表する歴史学の重鎮でした。
私は一調査員として、都合3ヶ月間参加しました。
黒坂先生は豪快にして繊細。
終始にこやかに、発掘の指導にあたられていたのが
印象に残っています。
当時の私は、駆け出しの若造でして、生意気にも
発掘の方法に関しては、何度も意見?を申して
しまいましたが、先生は「考古学に関しては、君のほうがプロ」
として寛大に聞き入れて頂きました。

正直なところ、縄文時代や弥生時代の住居跡
、そして古墳時代の住居跡や古墳そのものは
かなりの発掘経験がありましたが
「城跡」の調査は今回が初めてであったのです。

さて、塩田城跡。
上田市塩田平、独鈷山の一支峯弘法山の
北麓に位置します。
山の斜面を階段状に削平し、その構成は
20数段にも及ぶ大規模な城跡です。

塩田城と塩田北条氏の歴史的関係は
その当時として、背後の弘法山を守りの
屏風にたとえ、塩田一円が館及び砦機能を
有していたものと考えられます。
城としての本格的な築城は
室町時代に村上氏の重臣福沢氏が
代官として配置されてからと思われます。
その後も自落した塩田城を
武田信玄が「川中島合戦」に向けた前線基地
兵站基地として改修している痕跡も確認されています。
出土物の多くは室町期に相当し
井戸跡周辺部及び井戸内からは
白磁、青磁、将棋の駒、木製品が大量に発見されています。

調査としては、その全容に至っていませんが
越前の朝倉城跡に近似する構造物と思われます。

尚、塩田北条氏の祖
塩田義政は、二代執権の義時の孫にあたり
義政の父は、六波羅探題及び連署の要職に
ついた重時である。

写真は、黒坂先生のライフワークでも
あった「東山道の実証的検証」であり
東山道研究者にあっては、この本抜きで
東山道は語れないと云われるほど、名著である。

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写真は隣接する前山寺です。




Posted by 左近法務事務所at 21:06
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2008年08月24日

「法律」-知っているけど教えない?-





過日、日本に在留されている
中国人夫妻から「出産」に纏わる
相談を受けました。

「入管法」に定める在留資格及び
外国人登録法に定める登録の
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有無にかかわらず、人道上適用する。
児童福祉法第22条における入院助産制度は
、入院費用が捻出できない等の経済的な
理由のある妊産婦について、助産施設に入所
させる措置を取るものであります。

緊急に適用する必要が生じた場合、
指定助産施設での出産であれば、外国人に
ついても、在留資格及び外国人登録の有無に
かかわらず、人道上適用する。

病院で赤ちゃんを産む場合、医療保険は適用されませんので、
正常分娩で30〜35万円ほどの費用が掛ります。
本人や配偶者が医療保険に加入していると
出産後申請すれば「出産育児一時金」や「分娩費」が
給付されます。

上記の通り、出産費用が準備出来ない場合、
指定の施設での入院期間中の母子の医療費の免除、
または安い費用で出産できる「入院助産制度」が
あります。

日本人でも、この制度を知らないケースは多く、
日本に在留する外国人の皆さんは、尚更の事です。

国の制度ですから
遠慮することはありません。
困っている人がいたら
是非、教えて上げて下さい。

(最近の事件簿からの一言です)

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Posted by 左近法務事務所at 16:35
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2008年08月23日

ブログを書くことの自覚



平日、来れない
お客様にあわせて
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土日も事務所営業をする
ことは結構あります。

そんな中、今日お越しになられた
お客様より、当事務所のホームページに
あるブログも見ていらっしゃるとの
お話がありました。

久し振りに「見られている」意識を自覚しました。

行政書士には職務上
知り得たお客様のプライバシーを
守る「守秘義務」があります。
当然ながら行政書士を辞めた以降も
このしばりは続きます。

ブログでは
個人を特定することなく
実名を記載することなく
細心の配慮をして更新している
つもりですが、話の前後の中で
営業上
相手もメリットがあると判断した場合
○○先生とか
○○士とか
使わさせていただくことがあります。
いずれも事後処理に近く
或いは迷惑されているかも知れません。
ただ
幸いなことに、今のところ
苦情は来ていませんので
「大目に見てくれている」と
勝手に解釈している次第です。

私の場合は
ブログを通して
私の存在を知ってもらい
それを今の行政書士業務と
繋げていきたいという
目的を持っています。

但し
扱う業務内容は、場合によって
非常にデリケートなもので
或る意味、反復修正を「可」としません。

困っている
悩んでいる
この状態の中に
笑いや冗談が入り込む隙間は
本来ないのです。

同業のブログを
最近見る機会が多くなりましたので
大変参考になっています。
私が今まで気がつかなかった
ものの見方、ものの考え方が
そこには広がり、業務を遂行する
上にも大きく役立ちます。

一方
完全に商業ベース化されたもの
読む側の「受け」を狙ったコミカルなもの
等、様々なブログがあります。

情報が飛び交うインターネットの世界。
この中で、踊らされることなく
しっかりと「腰骨を立てて」歩くことにします。

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Posted by 左近法務事務所at 21:22
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2008年08月23日

やり直しがきかない仕事



法にまつわる
相談事、依頼事は
お客様が、悩んだ末に
訪ねて来られます。
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お客様は
相談すべき内容に関して
お客様自身、入念に
調べられてから来られます。
つまり、十分悩んだ末に
解決の糸口が見つからず
相談に来られる訳です。

その問題・悩み事のみに
焦点を絞れば、浅学な私より
遥かに熟知されています。
が、
総合的な判断に関しては
幾つかの躊躇すべき案件が
目の前に立ち塞がります。

この目の前の障害物を
取り除いてあげるのが
プロとしての私の仕事です。

お客様から「報酬」を
頂戴する以上、当然ながら
悪戦苦闘し
お客様の望むべき
姿を具現化致します。

故に
真実から導き出される
鋭い判断力が要求されます。

全ては
お客様の為に。

私は、いつも
そう心掛けています。




Posted by 左近法務事務所at 19:56
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2008年08月19日

徽章



徽章とは
身分・職業を表す印。
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行政書士の徽章には
「コスモス」があしらわれています。
「秋桜」と書き、コスモスと呼びます。

コスモスは調和を意味しています。

私は暫くの間、意識的に
この徽章を机の引出しに
しまって置きましたが
これからはスーツの襟に
付けて表に出ることにします。

弁護士の先生方の徽章は
「ひまわり」です。

夏のひまわりの時期は過ぎ
これからはコスモスが全盛を迎えます。

徽章を暫く、外していたのは
スーツを着る機会がなかったことと
自分自身が付ける資格があるのかと
悩んでいたからです。

しかし
全国に4万弱いる
仲間の皆さんが
日々、一生懸命努力し
自己研鑽されている様子を
研修会、会合、ブログで
目にするにつけ、気持ちを
切り替えました。

社会に誇れる仕事である行政書士。

弁護士
司法書士
といつも比べていた自分を
情けなく感じていました。

法律系の3士は
扱う分野が一部において
重なっていても、多くは
各々独自な分野を持っている。

そう思えば、はじめから
比較する必要などなく
行政書士としての独自分野を
開拓し、その道の
本当の意味でのプロに
なれば良い筈。

士業
何が上で何が下か
はじめから、そんなものはない。
そんな低次元なところで
惑わされずに
もっと考える視点を
お客様に向けるべきである。

先の創業塾研修で
滝澤恵一氏から得たものを
私の行政書士としての
独自分野で生かすこと。

人脈形成の中で
媚び諂うことがなく
対等に渡り合えるような自分を
鍛え上げること。

競争相手、戦うべく相手は
同業者でもなく
弁護士でも司法書士でもない。

己の貧しい心との戦いである。
これに勝てば自然とその先が
開けてくる。
よりはっきりと本質が見えてくる。

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Posted by 左近法務事務所at 21:54
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2008年08月18日

続創業塾ー考える視点ー



最近、色々迷うと
必ず取り出す
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冊子がある。
経営人間学講座
『自分を生きる』
滝澤恵一氏の本。

今日はその中で
「考える視点」の目次が
目に止まった。

以下、中略の無礼を顧みず
ポイントを抜粋してみたい。

先を読むとは、過去を読む力が必要になります。
時間を遡ってみること
過去を振り返ってみることです。
過去は否定することができない事実の重みを
持っています。
現在は、この過去の積み重ねの上に
成り立っています。
この積み重ねから将来を読むのです。
歴史、過去を振り返って、表層的な
現象を並べてみるのではなく、
なぜ、その現象が起ってきたのか
と原因と結果、関わりを問うのです。

過去や歴史を学ぶのではなく、
過去や歴史から学ぶことです。

(中略)

本質をつかむとは、どうでもいいものを
捨て去るということでもあります。
最も大切なこと、
根本的なこと、
本質からものごとを考えることです。
本質をつかむということを意識して、
これを習慣化していると
直観が働くようになります。
推理や経験を必要とせずに、
ものごとを直接に
判断できるようになってきます。

また
深く考えることは
重点化集中化にもつながります。

なんでもやるというのではなく、
もっとも大切なものを明確にして
これに集中することが
できるようになります。

余談で申し訳ないのですが
先の「創業塾」研修で
<内観>という言葉を
初めて耳にした。
滝澤先生も
創業塾で一緒だった
春雅さんも
この<内観>の時間を
一日の中で必ず取っているとのこと。
最近、私も朝の涼しい時間帯に
<内観>=本当の自分を知る
黙想を取っている。

<内観>とは

本当の自分を知る方法。
内観で本当の自分を知ると
不幸の原因を自分が
作り出していたことに気がつく。

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Posted by 左近法務事務所at 20:44
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2008年08月18日

ウマの考古学



(縄文時代の馬と体形が似ている木曽馬) 

犬と同じく馬も
古代において埋葬例があります。
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馬が日本の中で登場してくるのは
弥生時代からですが、この頃の
出土例は、少なく
野生の馬であったのか、家畜としての
馬であったのか定かではありません。
馬の具体的な埋葬例は
信州の伊那谷、飯田市坐光寺古墳群
から所見されています。

古墳時代は
前期・中期・後期に分けられ
前期の古墳から馬に関連する馬具等が
出土するケースは極めて少なく、中期以降から
副葬品として徐々に増え始めます。
当該古墳は古墳時代の後期に属します。

馬は乗用、運搬、農耕、戦闘に
幅広く利用されました。
初期は戦闘用に利用され、農耕用に
使われるのは、かなり時代が下がってからです。

古墳時代にあって
「馬」と「鉄」を制する者が、有力者と
看做されます。
特に信州は「良馬」の産地と言われ
朝廷と密接な関係を有していました。

東北信の代表的な御牧として
高井牧
大室牧
新冶牧
塩野牧
長倉牧
望月牧
が挙げられます。

これら馬(牧馬)を管理していた人々は
「牧監」「牧人」と呼ばれ
馬を飼育する為の特殊な技能を
有していたと言われています。
(真田の出自で触れました)

但し、レースなどの出る競走馬は外来ですよ。
黒澤監督の「影武者」シーンで
戦場を駆け抜ける馬は全て外来種です。
参考までに。

さて
犬も馬も
優しい綺麗な目をしています。



Posted by 左近法務事務所at 17:06
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2008年08月18日

わんこの考古学





犬が日本に登場するのは
縄文時代からです。
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これは、近年の発掘によって
もたらされた成果です。
通常、人骨も含め酸性土壌の
強い日本では、骨が発掘される例は
極めて少ないと言えます。
その中で、埋葬された状態での犬が
発見されています。
当時の縄文時代は、主に狩猟採集が
生計の基盤でししたから
犬は狩猟犬として、大切に扱われ
死んだ後も食用とはせず、丁寧に埋葬されたと
考えられます。
(貝塚から出土した、犬の骨が他の獣骨と
同じようにばらばらな状態で見つかり、尚且
骨に解体痕があったと言う理由で「食用説」
を唱える研究者もいます。)
私は心情的には「家畜犬=狩猟犬」を支持しますが。
一方、弥生時代に入ると犬に対する扱いが
大きく変化します。
犬は「食用犬」とされていきます。
こうした縄文及び弥生における
犬の扱いの違いは、双方の文化の違いを
示唆しているのかも知れません。

因みに
猫君の登場は遥かに遅く
古墳時代となります。

犬は本当に可愛いです。
因みに私の順位は
このわんこ君の「下」のようです。
彼が眼で私に教えてくれていますので。
多分・・・・・。







Posted by 左近法務事務所at 16:11
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2008年08月18日

名族「井上氏」*須坂井上が全国のルーツ*



(井上城跡の山頂に建てられた碑です)

全国の井上さんのルーツが
ここにあります。
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井上城は
須坂にあります。
清和源氏頼季流の満実を始祖とし
しています。

須田氏、高梨氏など
北信の有力豪族の多くは
この井上から分派したと云われています。
同時に全国の井上姓のルーツとも云われています。

近くに井上一族を祭る五輪塔群があります。
訪ねたその日、その土地の所有者が
常日頃、掃除されていることを聞きました。
なかなかできないことです。

その気さくな奥さんは
ほんとに立派だと思いました。

心が温かな人と接すると私まで
心が和んできます。

私にない人徳。仁徳か。
あやかりたい。



(此方は風林火山の舞台となった荒砥城です)

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Posted by 左近法務事務所at 15:53
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2008年08月17日

ーこの国の行く末ー:70.8%


(揚羽蝶紋)
70.8%の数値を見て
ピンと来た賢明な皆さん。

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内閣府が調査した「国民生活に関する世論調査」
対象20歳以上の男女1万(回収率61.5%)

「日常生活に悩みや不安を感じている人」と
回答した70.8%の数値である。
つまり
10人の成人が集まれば
そのうちの7人は「日常生活」
に悩みや不安を抱えている訳である。

そう言えば
事務所に来られる
お客様で見れば
「会社設立」に関するご相談→(ゼロ)
間違いなく地方においては
停滞しています。(HPアクセスも全体の5%)

それに代わって増えたのは
①内容証明(金銭にまつわるもの)
②離婚相談
③外国人在留関係
④農地の売買
⑤相続
などです。

会社設立は、云わば
地域の活性化をもたらしますが
(お金がプラス方向に動く)

離婚相談・内容証明などは
不景気になると増える現象が
あるとさえ言われています。
(お金がマイナス方向に動く)


(手塚太郎金刺光盛「満盛亀甲紋」)

日々、不安の中で
日々、悩みの中で
国民の成人男女の70%が
暮らしている現実は
日本という国がまともに
機能しているのか
はなはだ疑問である。

いや、既に猜疑心の固まりにさえ
なりつつある。

政府が「一生懸命、努力している」には
わかる。(わかろうと努力している)

しかし
今の時代
勝ち残っている多くの企業が
そうであるように
「努力するだけでは、どうにもならない時代」
である。


(仙石権兵衛秀久「永楽通宝紋」)

国民の大半は
それでもまだ「日本政府」を信じている。
しかし
国債残高800兆円
長期金利が6%までに上昇した場合、
48兆円の利払いが必要になる。
すなわち国家の税収は
全て国債の利払いで消えていく。

この70.8%の数値が
近い将来の破綻を予兆するものでは
ないことを願う。

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(七曜紋)



Posted by 左近法務事務所at 13:55
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2008年08月16日

この国の行く末ーコンビニ深夜営業論議ー





「コンビニの深夜営業はなくてもOK」
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が84%もあったそうである(朝日新聞調査)。
地球温暖化を阻止する為のCO2削減
がお題目であるが
実際はどうなのであろうか。
仮に深夜12時までと規制した場合、
熱電源消費が抑制されるのは
蛍光灯とエアコンだろう。

今はもう終えた洞爺湖サミットに
向けての「ポーズ」作りで
あったようで、最近では
この話題も下火になり始めた。

但し
コンビニの深夜営業規制には
もう一つの顔があると云われている。

それは深夜コンビニにたむろする
若者の排除。
犯罪の温床になっているとの位置付けである。
何となくこちらの方が本当の目的
ではないのかと疑ってしまう。
しかし
「排除」は当然、抜本的な対策ではない。

ものごとには
全て「現象と本質」がある。

コンビニの営業時間を規制することによって
深夜、たむろする若者を一時的に排除しても
また別な場所を探すだろう。

要するに何故、深夜若者がたむろするのか
本質的なことろで考えない限り
堂々めぐりになってしまう訳である。

これは
今、日本でかなり前から起きている
家庭の在り方
地域の在り方
教育の在り方
強いては
国の若者に対する取り組みが
どこかずれているかに他ならない。

極端に言えば、この国の未来像
将来像が描けない
「漂流する国家」になりつつある
黙示録を示しているとも言える。

最後にもう一つ。
コンビニの深夜の「ともしび」は
子供たちの
女性たちの
”駆け込み寺“
でもあると思っている。

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Posted by 左近法務事務所at 18:22
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2008年08月16日

超一流の人



武士道。
「武勇と廉恥」を重んじた一例として、
桶狭間の合戦が挙げられます。
信長がこのとき戦死すれば、秀吉は歴史に名を表すことなく、
家康は今川義元か武田信玄の
家臣に甘んじていただろうと思います。

信長の動員力三千。一方の今川勢は二万八千。
平野で戦えば、織田軍は、瞬く間に蒸発してしまう。
織田の家老たちは、籠城戦を主張。
籠城となれば、義元も10倍の兵力が必要であると同時に、
味方の損害も覚悟しなければならない。
当時としては、織田の家老たちの考えは
妥当ともいえますが、信長はそう考えなかった。

信長が臆病者であれば、家老たちの意見に従って籠城し、
今川との和睦方針をとったでしょう。
徹底した現実主義者で、極めて鋭敏な情勢判断をする信長は、
一面では現実を無視し、玉砕しても
恥ずかしい振る舞いはしないという、
武士の精神を備えていました。


信長にとって、今川に屈伏して生き延びることで
味わう恥辱に耐える苦痛よりも、死を選ぶほうが
楽であったに違いないと思います。
生涯でたったの一度。
この勝算のない決戦に挑みます。
この後、信長は運を天に任せた無謀な作戦を、
強行することはなかったのです。

信長の武士道。
学ぶべきことは山の如くあります。

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Posted by 左近法務事務所at 11:43
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2008年08月16日

一流の人



小一郎秀長。
正確に言うと、豊臣秀長。秀吉の弟ですね。
堺屋太一の「豊臣秀長」で世に知られるようになったと
言っても、過言ではないでしょう。
この人の戦勝記録は凄まじいです。
生涯のうちで大小百回以上の戦場に立っていますが、
一度として失敗していません。
但し、果たした功績は、軍事よりも内治のほうが大きく、
秀吉を天下人にならしめた名補佐役と言えます。

長い病の末病没しますが、兄秀吉は、
その後7年半以上、生き続けます。
しかし、その後の秀吉の人生は
大きく逸れていきます。


秀長の死後、豊臣一族に幸せをもたらすような事は、
何一つ無かったと言えるでしょう。
良き補佐役の死は、偉大な主役にとっても、その一族や家臣、
一般民衆にとっても、不幸な出来事の始まりだったと思われます。
この時代にあって、兄にとって代わろうともせず、
ただ無欲に尽くす姿勢に
秀吉は心から信頼し、家臣は慕っていたと言えます。

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Posted by 左近法務事務所at 11:35
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2008年08月16日

二流の人



「二流の人」とは坂口安吾が名付け親です。
備前の吉井川のほとりに黒田庄の拠点を置いた黒田一族。
やがて播磨の姫路に移動。
一介の土豪であった黒田如水。
この男が、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の
三天下人に仕えました。

何故、二流の人かと言えば
「頭が良すぎて、それが災いした」のです。
信長も秀吉も、そして家康も、終始一貫して如水を疑い続け
警戒の念を解くことはなかったと云われています。
信長が本能寺で横死した時、狂乱中の秀吉に
「次はそなたが天下」と事もなげに言い放ったそうです。



全て如水の頭があまりにも良すぎたからに他なりません。
名参謀であり、名補佐役でありながら、
その割には各々の天下人には愛されなかった如水。
秀吉の名補佐役であった
小一郎秀長とは、対照的な側面を有していたのです。
まあー
こういう人物は、今の日本にもいますね。

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Posted by 左近法務事務所at 11:12
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2008年08月15日

なだいなだー先を読んでいた文筆家ー



この夏の文庫
百冊ではないが
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1972年に筑摩書房から
発刊された『人間、この非人間的なもの』
を改めて読み返している。
1972年と言えば
今から36年前に書かれた本。
表紙は
既にセピア色に変わってしまった。
なだいなだ。
奇妙な名前である。
精神科医であり、文筆家でもある氏が
書いたこと。

殴られて育った子供が
親になると、その子を殴ってしまう。
虐待の連鎖であり
当時としては一大センセーショナルを巻き起こした。
あれから36年が経過した。
なだ氏の指摘は
更に深刻な社会現象をもたらした。

虐待されて育った子供たちは
心身の発達が遅れ、表情が乏しくなる。
学校集団に入ると親と同一化して
弱い子供に暴力を振るう。
中には、暴力を受けている状態にいないと
存在感が自覚できなかったりする
ケースも見られる。

被虐児が成長して親になったとき
今度は自分の子供を虐待する側に
転じてしまうケースが非常に
多いと云われる。

児童相談所に寄せられた虐待の
相談件数は、10年前に比べて
約20倍に急増した。

そして
これから先、10年後、20年後には
50倍、数百倍に膨らむ恐れが
あると指摘されている。

今日8月15日は終戦記念日。
この戦争で亡くなられた
310万もの尊い命が
未来を担う子供たちの
親に警鐘を鳴らしていると
感じる。

写真は通りすがりに見つけた
栗の木。
自然に逆らうことなく
着々と秋の準備を始めていた。

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Posted by 左近法務事務所at 17:58
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2008年08月15日

名族「真田氏」-その古城群ー



信州の山城「真田氏城群ー遠見番所」は
初期真田氏の居城であった
松尾城の延長線上に位置しています。
松尾城の入口部には、前回お話した一番古いと思われる
真田一族の五輪塔群が発掘されています。
真田氏の居城としては上田城が最も有名ですが
そこに至るまで、幾つかの城砦を構築しています。
松尾城が一番古く
その後(順序不動)、以下の城砦が造られています。

真田本城
御屋敷
天白城
根古屋城
横尾城
洗馬城
内小屋城
砥石城
矢沢城
など

遠見番所は形状的には
古墳の天井石を除去した有様を呈しています。
長方形状に掘り込み、周囲を石積で構築しています。
多分、見張りが3~4人ぐらいいたのだろうと思われます。
尚、ここからは上州(群馬)がよく見えたのでしょう。
真田は後半、上州方面にも勢力を拡散してゆきますね。



詳細は
「信州の山城」
信濃史学会研究書3部
に収録されています。

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Posted by 左近法務事務所at 16:47
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2008年08月14日

人物譚6・山本常朝



「武士道とは死ぬこと」
山本常朝の『葉隠』を改めて考えています。

結論から言うと
真意は、死ぬことではなく、どうしたら、
よりよく生きられるかを説いたものだと思います。

生きるか死ぬかの二者択一を迫られたとき、
死ぬほうを選んだほうがいい。
腹を据えて余計な事は考えないで、進めばいい。

思い通りにいかなくて死んだら犬死どというのは、
上方風の思い上がった打算的な考え方。

人は誰だって、死ぬより生きているほうがいいと思う。
それ故、生きることに理屈をつける。

だが、もし、失敗して生きていれば腰抜けだと云われる。
死んでしまえば、もし失敗して犬死、
気が違ったと云われても、それは恥にはならない。

写真は「鉾持神社」の
石仏と鉾をあしらった
鉄製模造品です。



Posted by 左近法務事務所at 21:12
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2008年08月14日

検察審査会は皆さんの味方です



以下の文書は
検察審査会が扱った事件です。
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(被疑事実の要旨)
被疑者らは共謀の上、甲に
刑事上の処分を受けさせる目的で
警察署において「障害を負わされた」などと
嘘為の申告をし、さらに○○地方裁判所の法廷に
おいて「暴行をしているところを見た」などの
自己の記憶に反した虚偽の陳述をしたものである。

(議決の要旨)
○○地裁及び○○高裁は、甲供述の
信用性のほうが被疑者らの供述の信用性
よりも高いと判断しているのであり、
これを一般市民感覚から見ると
被疑者らが甲を暴行・傷害で虚偽申告して
甲に対する傷害被告事件で口裏を合わせて
偽証したことになる。
(以下、中略)
甲は本件により、肉体的、精神的に大きな
ダメージを受けているのに対し
被疑者らは、甲が受けた大きなダメージを
なんら受けてない。

(注意箇所)
安易な告訴・告発をする者にも
それなりの自覚を持たせ、またリスクを
負わせるべきであって、本件の場合は
被疑者らに虚偽告訴罪及び偽証罪を適用すべきである。

(事後処置)
不起訴維持

(私的コメント)

長い引用文で申し訳ありません。
行政書士は、業務上
告訴・告発状が書けますが
「善悪の彼岸」を見抜く鋭い判断力が
求められます。
こうしたケースも事例として
有る事をしっかりと認識して
置かなければなりません。

「検察審査会」
地味ですが強い発言権を有します。
「裁判員制度」を強引に推し進めるより
検察審査会の啓蒙と充実を
願ってやみません。

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Posted by 左近法務事務所at 19:24
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2008年08月14日

再びの道ー世界大恐慌ー





忍び寄る
再びの世界大恐慌。
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今から約90年前の事件。
この当時の皆さんの多くは
既に地上にはいらっしゃらない。

1929年10月24日木曜日。
アメリカのニューヨーク株式市場の
株価大暴落に端を発した世界的な恐慌のこと。
世界的な農作物や工業製品の生産過剰などが
原因とされ、いつしか
歴史の中で風化されつつある大きな
「過去」の事件であった。

そして、今の状況が
その当時とかなり酷似していると
危惧する政治家は少ない。
そんな中で
早くから危機意識を提起していたのは
僅かな経済評論家のみであった。

サブプライム問題、原油価格高騰、
それらに伴う新エネルギーのための穀物高騰。
連鎖の物価高騰は我々の生活をどんどん
脅かし始めて来ている。
収入は上がらず、むしろ減り気味の中で
物価は高騰し、更に税金が高くなるとなれば、
庶民は、苦しいを通り越して
「ひもじい」二進も三進もいかない
困窮状態に追い詰められていく。

 世界規模での恐慌が近づいて来ている。
日本はすでに税金を800兆円近くも無駄に使っている。
草ぼうぼうの荒れたままの公共施設。
誰も通らない山道の一般道路以上の舗装。
需要に満たない高速道路建設。

富める者はさらに富み
貧しき者はさらに貧しく
の二極分化。格差社会。

今、中国は北京オリンピックの
真っ只中である。
人口13億。
経済成長の著しい沿岸都市部の
一人当たりの所得を、内陸農村部と
比較すると、その差はじつに
12〜15倍と言われる。
中国経済はソフトランディングに
成功するというのが大方の見方
であるが
果たしてそうであろうか。

日本も中国も
ジニ係数(世帯ごとの所得格差の大きさ)
の幅の中では
似たような現象が起きている
或いは続いていると
云えないだろうか。

・ジニ係数が0.5に近づくとは
 全人口の25%の高所得層が
 国民の総所得の75%を占めている状態
 を言う。

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Posted by 左近法務事務所at 16:06
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2008年08月13日

弁護士大増員の真相



2018年、法曹の人口は
5万人に膨れ上がると云われています。
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法曹界には
弁護士以外に
司法書士、行政書士も
含まれると自認していますが
現行の行政書士数約4万を
越える弁護士大増員です。

(行政書士4万の実態も
兼業者がいたり、登録のみで
実態としての業務をしていない書士が
いたり、肩書きだけの書士がいたり
様々なようですが。)

建前として
「国民に身近な裁判をめざす
司法制度改革の一環」として
2004年に法科大学院が開校されました。
現状での弁護士は
約半数近くが東京等、大都市圏に
集中していますので、地方レベルで
見れば人口比に対し、少なくは
感じられるでしょう。

そもそも
法科大学院の発想は
年に20万人以上の法曹を誕生させる
アメリカのロースクールを踏襲している
と言えます。
何故か。
日本の司法制度改革は
ここでもアメリカの要求に応える
為に開始された側面が強い。
米政府通商代表部は、毎年日本政府に
突き付ける『年次改革要望書』の中で
延々とす進まない日本における
裁判の迅速化を図るため
法曹人口の増員を求めてきた。
が、背景として挙げられます。

アメリカでは毎年5万人以上の弁護士が
誕生し、現在その数100万人を優に超えている。
云わば供給過剰の飽和状態なのです。

数百人もの弁護士を抱える弁護士事務所
「ローファーム」は日本を新たな市場として
進出の機会を狙っていると云われ
彼らを補佐する大量な日本人弁護士を
必要とする。

そうした意味で
ロースクールの設立は
日本進出に向けた大事な布石なのである。

日本は今、質実ともに
アメリカ並の訴訟社会を迎えつつある。

そう言えば
裁判員制度導入の背景の一因に
「裁判の迅速化」が掲げられていたような・・・。


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Posted by 左近法務事務所at 22:17
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2008年08月13日

名族「真田」ー大伴氏との関係ー



六連銭は、三途の川の渡し賃。
いつでも死ぬ覚悟が出来ていた。
尚、
六連銭は「むつれんせん」と呼びます。
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さて、今日は真田弾正幸隆と
真田源太佐衛門尉信綱。2人のお話をします。
共に24将に入っていまして、
信綱は幸隆の長男になります。

(真田弾正幸隆)

そもそもの真田の出自は、多くの謎を含んでいます。
諸説ありまして、その一つが
清和天皇の皇子が信濃に土着して、
滋野氏を名乗り、そこから
海野、望月、根津が分家し、更に海野本家から分かれたのが、
真田の起こりだと云われる説。
もう一つは、大和朝廷の牧役人で
大伴氏が先祖とされる説。
左近流に言い換えれば、清和天皇の皇子出自説は、
多分まゆつばもの。
大伴氏が、のちの滋野本家になり、
滋野氏の娘を娶って、海野姓となり、その後
海野を出自とする真田に至ったと思われます。
天皇の血を引くか、或いは朝廷から
任命された役人が出自なのか
大変な差がある訳です。

信玄自体、新羅三郎源義光(八幡太郎源義家の弟)を祖とし、
武門の棟梁ですから
名門中の名門と言えます。
源平藤橘を祖としなければ、家の箔がつかなかった
時代にあっては、かなり怪しい出と思われます。
余談が長くなりました。
幸隆自身は、素晴らしい武将で
あったことには変わりがありません。
海野氏が滅亡後、流転の中で、信玄に見出されます。
信濃の攻略は、地の利をよく知る幸隆の
貢献度が非常に高かった筈です。
幸隆の名を不滅なものにしたのは
「戸石城」を謀略で落としたことでしょう。
難攻不落と呼ばれた戸石城を僅か一日で攻略。
村上勢は悉く討ち取られています。

(真田源太佐衛門尉信綱)

幸隆の子は4人います。
長男の信綱。二男昌輝、三男昌幸、四男信尹。
信綱及び昌輝は、共に長篠の合戦で討ち死にしています。
真田は大きな犠牲を払って武田家を守ったと言えます。
昌幸は、ご存じ幸村の父です。

(参考)

旗印

銭を横に配したもの
銭を縦に配したもの

2種類あります。
通常は横に配した旗印です。
六連銭以外に
州浜紋、雁金紋なども
用いられることもあります。




Posted by 左近法務事務所at 21:13
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2008年08月13日

士業は何故「サムライ」と呼ばれるのか





明確な答えは出せません。
『士』が
文字通り
--------------------------------------------------------------------------------
そう呼ばせているのかも知れません。
法人規模の士業または
個人事業主であっても
何人もの補助者を使っている事業主。
そんなに多くはないですから
殆どは一匹オオカミと言えます。

一人ですべきことは山ほどあります。
「待ち」の商売ではありませんから
自らが動かなければなりません。

お客様との面談。
営業での外出。
各種研修会への参加。
事務所管理。
収支の管理。
設備から始まって備品、消耗品の調達。
などなど。
これらを全て自分ひとりでこなさなければ
回っていきません。

但し、最も重要な事は
お客様と面談し
お客様の悩み事、相談事を
お客様の希望通りに完結できるか。
という事です。

様々な事例の中から
或いは経験の中から
ベストの回答を出す。

そして、その場合の多くは
「自分自身の判断」に委ねられる訳です。

お客様からお金を頂戴する以上、
「不良品」を売るなど、許されません。
(士業は、その意味では知識・知恵に置換されます)

自分で考え、最高の結論、結果を生みだす。

サムライに例えれば、普段帯刀しているのは
飾りではない。
事あれば、命を賭して「民」を守る。
だから「民」も無産階級であったサムライの
存在を許した。

サムライ=士業は
命がけで「お客様」を守る。

その精神がなければ
事件・事故の渦中に絶えずいる
「真の士業」は務まらない。

全てはお客様の為に存在する
士業。

私はそのように考えます。 

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Posted by 左近法務事務所at 11:31
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2008年08月12日

事務所の名前が気になります



法律事務所と法務事務所。
紛らわしい名前を選んでしまいました。
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「法律事務所」の名前を
掲げられるのは弁護士です。
一方、行政書士の場合
「法律事務所」はご法度です。
通常は○○行政書士事務所が
多いのですが、小生は気負いで
「○○法務事務所」と掲げました。

両隣りは
弁護士先生の事務所と
司法書士先生の事務所。

たぶん
「どこの馬の骨」とも
分からない新参者が
ある日、突然真中に
「○○法務事務所」の看板を出した
ので、さぞ驚かれたことだろうと
想像に難くない。

先程のFAXも
よく見れば「○○法律事務所」に
なっていた。

わたしが原因を作った張本人である。
○○商工会議所様も○○役所様も
悪くは御座いません。

因みに
行政書士が為し得ない他士業の独占業務
とは

①「法律事件」である行政不服申し立てに
 に関して代理人として不服申立書を作成すること
 (弁護士法第72条)
②「裁判所」提出書類
 「検察庁」提出書類
 「法務局」提出書類(主に登記申請書)
 (司法書士法第73条他)
③「税務書類」作成
 (税理士法第52条他)
④労働・社会保険諸法令に基づく申請等。
 (社労士法第27条他)
⑤「特許庁」への出願書類
 (弁理士法75条他)
⑥「船舶・港湾・海運」関係法に基づく申請他。
 (海事代理士法3条他)
⑦「建築設計」関連
 (建築法3条他)
⑧「不動産表示登記」の申請書他。
 (土地家屋調査士法68条他)

以上ですが
イメージ的には
一般法律専門職である点で
弁護士に近いわけです。

弁護士と言えば
訴訟代理人のイメージが強いでしょうか。

余談ながら
開業間もない小生は
ちょくちょく隣の
司法書士先生宅にお邪魔しています。
先生は、いつも丁寧に分かり易く
教えてくれますので、感謝で一杯です。

それから
事務所の名前ですが
変えずに「○○法務事務所」で
続けます。
紛らわしくしたのは私ですから
続けることで責任取ります。

写真に映りし
建物は法務局+検察局
の一角です。

http://www.aoki-houmu.com/




Posted by 左近法務事務所at 19:10
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