「室賀氏」について、大変興味深く読ませていただきました。
関西で生まれ育ち、現在も関西で生活をしています。
実は父の出身が長野で、その姓が「室賀」であった為、幼少期室賀姓を名乗っていたのですが、その後両親が離婚し、私も母方の姓に変わりました。
関西では珍しい姓だったので、子供の頃は「室賀」と言う名前をからかわれたり、時には軽いイジメを受ける事もありましたが、何故かいまだに愛着を感じ、いつか過去に地名もあったと聞く長野の“旧・室賀村”にあたる地域を探して訪れてみたいと、漠然と考えていたのですが、コチラのサイトにたどり着いてビックリしています。
現代も「室賀」の地名が残っているのですね!?
益々、行ってみたくなりました (^O^)!!
勝手なお願いで申し訳無いのですが、どうかご無理でなければ、「室賀氏」について、更に書き込んでいただけると、とっても嬉しいです(^-^)。
宜しくお願い致します…m(u_u)m。
元・室賀の1人
関西の室賀様
遠くからのご訪問
有難うございます。
地名から「氏」が興ると云われます。
全国の室賀氏の多くは
この地、信州上田の室賀を
遠祖としているものと思います。
現在も「室賀」の地名は残っておりますし
その末裔が
今も上田周辺で
ご活躍されています。
次回は
もう少し
突っ込んで
話題に取り上げたいと考えております。
本日は
遠路、ご訪問並びに
コメント有難うございました。
大変興味深く読ませて頂きました。
私は新潟にすんでおります、室賀です。
父の話ですと室賀家は上田の地方から新潟に移り住んだと言う事です。
柏崎市です。父の生家は柏崎で大変な田舎です。「誰もいない土地に身を置いた。」との事です。
室賀は珍しい苗字です。新潟で室賀は少ないですが、すべて一族であると聞いております。
古文書があると思いますので調べてみたいと思いました。
柏崎の室賀様
今晩は。
遠路、ご訪問有難うございます。
室賀氏は
武田に組みした一族と
村上に臣従した一族があります。
室賀氏を名乗り
尚且、家紋が「丸に上」であれば
上田の室賀氏の出で
あると思います。
当ブログに
室賀信俊を書いた記事がありますので
併せてご覧頂けたら幸いです。
本日は有難うございました。
こんにちは、真田氏の大河ドラマが決まり先祖が話の中にでるのでは?と思い調べてここにたどり着きました。
実家にある本には、何処かに人質になった娘を真田氏に助けて貰い、武田側につかざる得なかったようです。
ちなみに今の旦那は村上の子孫の様です。
村上氏のお墓の近くで白蛇を見た時からこの結婚は決まっていたのかもしれません
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%BE%8D%E5%B3%B0%E5%AF%BA
此処も室賀ですよん♪
はじめまして室賀と言います。室賀氏のいろんな事を調べていただきありがたく思っております、小県の室賀一族は、高齢化になり今後の室賀家も心配です、健康で長生きしていただきたいと思っています。さてまだ皆さんが知らないと思いますが、小県の室賀家の家紋は、男性は〇に上、女性は抱き茗荷の家紋になります、一家でも二つに別れているのは珍しいと思います、日本には室賀家ともう一家だけだと聞きました、まだまだ知らない事もあります、これからも、室賀氏の事がわかりましたら教えてください。
「室賀氏の歴史」という本を私の父が出しています。インターネットでは,国会図書館だけにあると出てきましたが上田図書館にもあります。手元に残部がありますのでお分けすることもできます。
発行は1990年ですが、実際い書いたのは1973年ごろまでです。
こんばんは。室賀と申します。新潟県の中越地方に住んでおります。
今回NHK大河ドラマの真田丸に室賀が出るということで調べておりましたら、こちらにたどり着きました。読ませていただき、大変勉強になりました。ありがとうございました。
また、全国各地の室賀関係者からのコメントも読ませていただきなんだかうれしくなりました。
過去に祖父母から上田から新潟に移り住んだということまでは聞いてました。
近年になって仕事で長野にいったとき、「室賀てことはあなた長野出身でしょ。室賀ってところがあるよ」と言われたことがあり、一度訪れてみたいと思っていました。このサイトを読まさせていただき、ますます行ってみたくなりました。ありがとうございました。
私の父は上室賀生まれです。
下から上の沢沿いの家は西沢姓が多いです。
西澤毅様、もし宜しければ本を分けていただけますでしょうか。
室賀さん、名族ですよ
大河ドラマに登場する信濃の雄。今まで無名の扱いは不当だったということです
週末、室賀を訪ねます
父が上田市の上室賀から神戸に移住しています。父も私も室賀姓です。室賀氏の記事を書いて下さりありがとうございます。皆様のコメントも読ませて頂き、嬉しく思います。数年前に上室賀を訪れ、ささらの湯に入って来ました。真田丸で上室賀を取り上げて頂き、近々、前松寺に詣らせてもらおうとおもいます。
明治のころかな?駆け落ちで勘当されたほうの子孫の従兄弟筋だと思います、 自分。
びっくりです、こんなに注目されていて。
今日たまたま、仕事で上田に行っていたのですが早く終わったので、その室賀さん家にお彼岸に父が挨拶にいけなかったので、お線香をあげに行ってきました。
室賀を検索したらこのHPにたどり着きました。私は昭和19年(1944年)8月から昭和20年(1945年)9月まで、室賀村にある 前松寺 に小学5年生 75 名 の同級生と共に学童集団疎開をしました。
その同級生たちが東京で「前松寺会」を作り、現在も毎年1月の最終土曜日に同級会を続けていますが、50年以上になります。
(室賀氏のこと)地元上田で生まれた武将真田幸村をヒロインとする大河
ドラマが始まろうとしている。各分野における地元の期待は絶大である。
が、私は主人公よりも数回登場するかもしれない一人の人物とその一族
がどのように扱われるかに期待と不安を持っている。自宅から1キロ半ほど
の所に400年近く住んでいて、このドラマに出てくる事件の後そこを離れ
た、また、亡父がその歴史を研究・出版した室賀氏のことである。
今回登場する室賀正武役は、真田氏のだまし討ちにあう役で、室賀氏
には最悪の時だが、全国の人に見てもらえるのだからNHKに感謝して
いいかも知れない。室賀氏を大河ドラマで見聞きしたことは2回ある。
いずれも一分以内だが、1949年の「天と地と」では奥方と子供の画面が、
出た。また、負けたら「室賀峠まで引き返せ」というセリフもあった。2007
年の「風林火山」では、地侍として名前が1・2回出たと記憶している。
1969年には「武田信玄」が放送されているのでその時も一瞬ぐらいは出
たであろう。川中島へ行くには室賀を通る道しかなかった時代だから。
今回のドラマでは室賀正武役の役者が第1次で発表されたぐらいだから、
かなり重要な役だろうと予想される。私がNHKに言いたいことは次の2点
である。ただ、私は歴史にうといので、25年前の亡父の代弁である。
①正武がだまし討ちにあったのは上田城ではなく、常福寺(現在の
芳泉寺の前身)である(室賀氏第2分家文書・石井家文書)。
ただ、この説はまだ通説にはなっていないので、「真田資料集」
にあるとおり、上田城内となってしまうだろう。
②正武の殺された後の室賀氏は「上田小県誌」の言うように真田昌
幸によって「滅亡させ」られたのでなく、徳川幕府の中枢に入って
7200石の旗本として活躍したことを是非伝えてもらいたい。内容
までは無理ても。 なお、正武の子久太夫は三河の徳川に1500石
で抱えられ、また、天白区での功績では、今もその名が語られている。
熱狂的な上田の幸村ファンには兄信之(松代藩10万石)の存在さえ邪魔
になる。まして地元から去った対抗勢力室賀氏の繁栄などは面白くないか
ら、地元の歴史書では真田氏が「滅亡させ」たとされていたのである
平成28年1月11日
三 谷 幸 喜 様
西 村 雅 彦 様
西澤毅 NISHIZAWA TSUYOSHI
386-1541長野県上田市上室賀2583
☎0268-31-3500Fax31-3575
携帯☎090-3131-9886
前略
信州上田を舞台とする真田丸を放送していただき関係方面に深く感謝いたします。
昨夜は思いがけずも我が母校の校歌まで全国に流していただき感激です。
ところで、一つお願いがあります。それは室賀氏のことです。
室賀氏への思いは私の今年の年賀状(別紙拡大でお読み下さい)に書いて、270
枚(例年並み)ほど出しました。
思いは大体書きましたが、字数の関係で不十分なところもありますので、補足しま
す。
それは、放送の後で流す関連事項のコメントについてです。友人の話では室賀城
跡などに何度かかカメラが来ているそうですので、ドラマの後のコメントがあると思
います。
①室賀氏は滅びた」、「滅ぼされた」とだけは絶対に言っていただきたくない。
室賀氏は地元を去っただけで、立派に活躍しているのに、地元の
「上田小県誌」では滅ぼされたことになっているそうですので。
②できたらその後の室賀氏の活躍について伝えていただきたい。
以上です。
なお、父の書「室賀氏の歴史」を贈呈します。インターネットのない時
代に書いたので、今ならもっと書けたのにと思う点はあります。巻末だけ
でもお読みいただければ幸いです。
匆々
新しい年を迎え 皆様の
ご多幸をお祈り申し上げます
2017年元旦
386-1541 長野県上田市上室賀2583
西 沢 毅
(大河ドラマ真田丸と室賀氏・室賀のこと)昨年の上田は「真田丸」に明
け「真田丸」に暮れた。余韻はまだまだ続くだろう。私にとっては(昨年の
年賀状に続いて)室賀氏・室賀のことについて言わなければ新しい年を
迎えられないほどのいろいろな思いがある。まずは(字数のあるうちに)
脚本の三谷幸喜氏に大感謝し、出演者の労をねぎらっておこう。①室賀
は甲州から川中島へ行くのには避けて通れない道筋にあるから、過去3
回の大河ドラマ(「天と地と」「武田信玄」「風林火山」)にかかわっている
が、室賀氏の名前や画面は一瞬出るぐらいだった。今回はセリフ付きで
10回も登場し、全国レベルで注目された。地元の人にすら知られていな
かったのに、である。②「ドラマだから許す」「引立て役だから仕方がない
」と200%了解した上で言わせてもらえば、異論は大ありだ。まず第一回
に登場した室賀の住民の役は薪ドロボウである。しかも山火事で薪に困
ってという。が、火事のあとは燃え残りの始末に困るほど焚き物はあるの
だ。③正武が殺された場所は今では常福寺という説が多くなっているよ
うだが、ドラマの準主役を傷つけないためには上田城内が良かったの
であろう。祝儀で少人数の場を作り、正武の方が先に手を出したとして
いる。正武があんな場で先に手を出すはずはない。殺した後家族にな
じられて言い訳に困り、「室賀が邪魔だったのだ。」昌幸は本音を吐い
ている。もし画面のとおりなら、「向こうが先に手を出したのだ。」と言え
ばすむところだ。三谷氏の苦心の跡がうかがえる。④第1回の放送の後
で、三谷氏に年賀状を添えて手紙をNHK経由で出した。常福寺のこ
と、その後の室賀氏の活躍紹介の希望などを書いて。(地元には滅亡
説もあるというので)⑤「だまれ、こわっぱ。」最終回の一つ前の回、一喝
したのは信之である。かつて信之が地侍の評議の席で何度も正武に浴
びせられ、唇を噛んだ言葉だ。信之の前にいるのは正武の子久太夫。
父と弟だけでなく室賀氏まで引き立てた信之をねぎらい、ついでに引立
て役に徹した室賀氏も(後継ではないが名古屋市にその名を残す)正武
の子久太夫を登場させてねぎらおうという三谷氏の深い思いが見える。
こんばんわ。
今更ですが、長野県上田市上室賀在住の室賀です。
大阪、新潟にもいらっしゃったのにはびっくりしています。特に、柏崎には昔から親近感があり今でもお邪魔いたしております。
長野県上田市上室賀からすぐ隣村の、長野県小県郡青木村にも、室賀はいらっしゃいます。
私の父もそこが出身みたいですが、昔は、「室加(ムロガ)」と、漢字が違うようでしたが、未だに謎です。
室賀を具体的に知りたく、私もわくわくしております。
何か情報がございましたら嬉しい限りです。