
「風 疎竹に来る 風 過ぎて竹に声を留めず」
--------------------------------------------------
この句は
中国の明末の儒者・洪応明の著である
『菜根譚』からきています。
儒教の思想を中心に老荘・禅学を交えて
人世観をうたいあげた三百五十句から構成されて
いるうちの一句です。
風が疎らな竹林にあたると、竹の葉が
さやさやと鳴る。
しかし、風が過ぎると、もう竹には
音が残っていない。
こんな感じでしょうか。
趣旨は
徳の高い人は、何か事が起きたときに心が
動くが、その事が終われば心は元の
空虚に戻って、いつまでも執着しない
ということを表わしています。
つまりは
善かれ悪しかれ、その事に執着して
いつまでも精神を浪費するような愚かなことはせずに
心の空であることを学びなさいと
諭しています。
元駐米大使で外交評論家の加瀬俊一氏は
広田弘毅のもとで
外国との会議の通訳をしていた折、
相手の長口上を聞き流しておいて
広田は加瀬氏に対し
「風、疎竹に来る。風過ぎて竹に
声を留めず これだけを訳して下さい」
と伝えたそうです。
≪廣田 弘毅(ひろた こうき。
1878年(明治11年)2月14日 -
1948年(昭和23年)12月23日)
日本の外交官、政治家。勲等は勲一等。
旧名は丈太郎(じょうたろう)。
新字体で広田 弘毅(ひろた こうき)とも表記される。
外務大臣(第49・50・51・55代)、
内閣総理大臣(第32代)、貴族院議員などを歴任した。
文官では唯一のA級戦犯となり死刑となった。≫
ーwikipediaより引用ー