
(写真は「庄内式土器」の一群です)
弥生時代は紀元前の何年頃に始まったのでしょうか。
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1970年代までは弥生前期は
前300年〜前100年。
中期は前100年〜100年。
後期は100年〜300年。
古墳時代の始まりは300年頃からと
ほぼ200年単位で区分されていました。
その後、全国各地で考古学的発見が相次いだこと
もあり、弥生時代の始まりは200年ほど早まって
前500年頃と見なされるようになり、
区分も草期、前期、中期、後期、終末期の5段階、
弥生時代の終了は270年頃と30年早まっています。
今回は日常的に使われていた土器からの
アプローチです。
土器は勝手に動くことはありませんね。
必ず背後に「人」の移動が伴います。
特に弥生時代と古墳時代の間にあった
「庄内式土器」が注目されています。
(庄内式土器の特徴)
庄内式土器は、弥生時代と古墳時代の間の時期の
土器とされています(後続が布留式と呼ばれます)。
庄内式土器と、それ以前の弥生式土器の違いについて
関川尚功氏は「近畿・庄内式土器の動向」
(『三世紀の九州と畿内』河出書房新社)の中で
次のように述べています。
煮沸形態に関連して重要なことの一つに
甕の器壁の薄さ、つまり、煮沸したときの
熱の通りの良さがある。
弥生後期タイプの甕は大体4ミリから5ミリぐらいの
厚さだが、庄内あるいはそれに続く布留式の甕に
なると、1.5ミリから2ミリぐらいの非常に薄い
器壁になる。
庄内甕の特徴の一つに内面を削って薄くするという
手法がある。
これはもともと畿内の弥生後期の甕には
みられなかったもので、瀬戸内、日本海側の地域に
それ以前からみられるものである。
(庄内式土器の分布)
庄内式土器は北九州一円と近畿地方では、
大阪府八尾市近辺と奈良県の天理市から
櫻井市にかけての地域に分布します。
北九州ではかなり広い地域に分布しているのに対し、
近畿地方では大阪と奈良のかぎられた地域にしか
分布しないことが特徴的です。
研究者の間では、庄内式土器が九州→
近畿地方にもたらされたとする考えが強いですね。
大阪や奈良の庄内式土器の出土地は、
物部氏と関係の強い地域でもあります。
物部氏が、饒速日命とともに九州から近畿地方に
天降ったり、九州の人びとが神武天皇に従って
奈良に入ったことと関係するかも知れません。
(邪馬台国の所在地:以後不定期ですが続きます)
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