2010年08月29日

邪馬台国の謎⑥:集落論

邪馬台国の謎⑥:集落論

弥生時代から古墳時代にかけての集落の変遷を

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都出比呂志氏は以下のようにまとめている。

・弥生時代前期の集落は五十人前後のもので
 これが水田の経営の単位集団だった。

・中・後期になると大集落が出現する。
 それを中心に有機的関係を持った分枝的小集落が
 結び付く関係が見られるようになる。
 都出氏はこれを「農業共同体」と呼んでいる。

・大集落の形成については農業上の協業の必要性から 
 ではなく、政治的緊張を背景にした軍事的理由で
 あるとしている。

・但し弥生時代の終末期、古墳時代の前期について
 は、詳細は未解明である。

・古墳時代中期以降には、首長層や有力な農民層は
 溝や柵列で区画した屋敷地を集落から切り離した
 ところに成立させている。

以上のことは、弥生時代の後期に墳丘墓が首長層の
ものとして他の共同墓地から分離して成立し、
やがて前方後円墳が成立していくことと対応するし、
このことから未解明である弥生時代終末期から
古墳時代前期に首長層の住居が集落から分離した
であろうことが推察される。

古墳時代において屋敷地を成立させ、大規模な
農業経営を行なっていた集団は、竪穴住居群を
形成していた弥生時代の小集落と同じような
「世帯共同体」的集団であろうが、
古墳時代においては屋敷地を成立させ得た
有力農民層の他に明確な屋敷地を成立させることの
出来ず小集落を形成し、小規模な農業経営を
行なっていた層、また、首長層や有力な農民層の
屋敷地内で隷属して住まわされ、大規模経営に
取り込まれていった層の階層分化が
認められるとする。


都出氏による弥生時代集落の理解については
農業の生産単位(水路の造成や河川の護岸を
協業する単位)と
政治的集団とを区別する必要が
あると思われる。
大規模集落の形成について、軍事的理由を掲げて
いるので、この点から、「農業共同体」を
政治的集団と捉えることが出来るのかも知れない。


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Posted by 左近法務事務所 at 19:56
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