
60歳になれば捨てられるとされた「姨捨伝説」。
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私ももうじき捨てられる?
さて、この「姨捨伝説」を
調べていくうちに
七曲の竹
↓
七曲の玉
に辿りついた。
周知の通り
棄老伝説とされた姥捨て山は
全国各地に散見されるが
その中でも特に有名なのが「姨捨山」である。
姨捨山は千曲市と東筑摩郡筑北村にまたがる山で
正名は冠着山。冠山とも更科山とも称され坊城とも
言われた。
そのことを前提に
以下はその要約である(一部引用)
「親は六十歳になったら山に捨てるべし」という
掟があった。
しかし、ひとりの孝行息子が、老いた母親をどうしても
山に捨てることができず、ひそかに家の裏の納屋に
かくまっていた。
そんな国にあるとき隣国から使者が来て
三つの難題を課した。
1 七曲がりの竹に糸を通せ。
2 一本の棒の根元と先端はどうやって知るか。
3 灰で縄をなえ。
文字通り、無理難題である。
領主以下、家来も領民も誰もわからなかったのだが
ただひとり、ひそかにかくまわれていた先の老母に
だけ答えることができた。
一つ目は、アリを捕まえてきて糸をくくりつけ
七曲がりの竹の一方の端に蜂蜜を塗って、
もう片方の穴からアリを入れてやればいい。
いくら曲がりくねっていようとアリはちゃんと
こっちの穴へ出てくる。
これで糸は七曲りの穴を通る。
二つ目の根元と先端の分からない棒は
タライに水を汲んで、浮かしてみろ。
ちょっとでも沈んだ方が根元、浮いた方が先端だ。
三つ目は、まずワラでしっかり縄をなって
それを塩水につけ、よく乾かしてから燃やせば
形がくずれない。灰で縄をなったように見える。
隣国の使者は「この国には、すごい知恵者がいるに
相違ない」と引き下がり、国は危難を逃れたという。
これをきっかけに、老親を山に捨てるべしという掟は
廃され、くだんの老母は息子や孫たちと末長く安楽に
暮らしたとされている。
こうした説話の内容から
読み取れる時代背景はおそらく
平安時代ごろから戦国時代の末期までと考えられる。
ところがもっと古い伝承が残っていた。
大阪の泉佐野市にある蟻通神社。
この神社は紀貫之にゆかりがあると言われる。
天武天皇の頃、唐の皇帝が、日本人の知恵を
試してやろうと、穴が反対側へ貫いている
七曲がりの玉を贈ってきた。
これに糸を通してみろ
というわけである。
蟻の体に糸をくくって、一方の穴から入れ、
反対側の穴の出口に蜂蜜を塗って、
蟻に七曲がりの穴の中を這わせ、
見事、糸を通した翁がいた。
以来、志富田(渋田)荘の氏神として祭られている。
元々は
七曲の玉に糸を通すことから
始まっていたと考えられるが
いつしか民間伝承されるうちに
七曲の竹に転化していったものかも知れない。
ただひと言わせてもらうと
7世紀に始まる日本の古代法制度下では
20歳以下の若年者、60歳以上の老齢者や
障害者には税の軽減など保護がされていて
法制にも棄老はない。
そう言えば
蟻通神社は「知恵の神様」とも呼ばれている。
あやかりたいものである。
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