
「大名の殿席」とは
江戸城に出仕したときに
本丸内部のどの部屋に
詰めるかによって区別が確立されていた。
殿中の詰所は大きく7つに区分される。
「大廊下」
「溜りの間」
「大広間」
「帝艦の間」
「柳の間」
「雁の間」
「菊の間縁頬」
とされている。
「大廊下」は
将軍家ゆかりの大名たちに与えられた最上の
詰所で「上の間」と「下の間」に分けられていた。
「上の間」には御三家が詰め
「下の間」には前田家・島津家・伊達家など
松平姓を特別にもらった大大名が詰める。
これらの部屋の前にある廊下は
正式には「大廊下」であったが
他の大廊下と区別する前に
その襖に描かれた松の絵から
「松の廊下」を呼び慣らされていた。
「溜りの間」は
将軍の臣下に与えられた最高の詰所であって
井伊家・会津松平家・高松松平家が列した。
その他の譜代大名は「帝艦の間」に詰めた。
「大広間」は
御家門・外様大名で四位以上の者が詰めていた。
「柳の間」は
五位以上の外様大名の詰所であった。
元禄「忠臣蔵」事件で
高家の吉良美央に斬りつけた
赤穂藩主浅野長矩は安芸浅野家の分家で
あったから、その詰所はここに相当する。
斉藤洋一氏は
『身分差別社会の真実』で
「浅野が事件当日受け持っていた勅使・院使に
将軍が返礼するのは「白書院」だったが
ここへは柳の間の廊下を通ればすぐ行けるので
彼が松の廊下で刃傷に及んだというのは
芝居を華やかにするためのフィクションである。」
と述べている。
続く「雁の間」は
詰衆の控えの間となり、
原則として城主か城主格が詰めた。
最後の「菊の間縁頬」は
詰衆並の控えの間であったが
主に無城の者が詰めた。
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